MomoeのブログMomoe's blog

     

働くこと


おはようございます☀


先日は雪が降っていたのに、ここ何日かで急に暖かくなりましたね🌱

今日も昼間は暑いぐらいでした(・・;)


でも明日からはまた、気温が少し下がるみたいです…

寒の戻りで桜は長持ちするようですが、身体にとってはつらい気温差ですね😞

どうか体調にはくれぐれもお気をつけください



本日15:00〜24:00、明日13:00〜23:00で出勤します

お時間があればぜひ^ - ^

制服イベント中です❣️


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今回は水上勉「働くことと生きること」

作者は戦後日本の文壇で活躍した作家です

社会派推理小説や女性を主人公にした叙情的な小説を多く残しています

以前このブログで取り上げた「雁の寺」も同氏の著作で直木賞の受賞作です!


本作は作者が63歳の時に書いたエッセイで、自身の体験と取材に基づく職業観が記されています


水上氏は貧しさのために寺へ奉公に出され、9歳で親元を離れました

その後還俗して働きながら大学に通いますが、学校を中途退学した後は作家として売れるようになる40代までの間、いくつもの職業を転々とします


作者は戦前から戦後にかけて薬売りや職業安定所の職員、服の行商、教員、新聞記者などに就き、本書ではその時の経験が綴られています


水上氏が様々な職業で出会った人たちの生き様や、仕事に対する視線には胸を打たれました

彼が経て来た職は社会を大きく動かしたり人の命を助けたりするようなものではなくて、所謂ふつうで地味なものばかりです

それでも毎日汗水を流しながらその日の仕事を懸命にこなして給料を稼ぐことの楽しさや苦しさや難しさ、そしてその積み重ねに美しさを見出せるかどうか…


作者は「天職とは最初からあるものではなく、働きながら育った人格があとから見出すもの、心のあり様次第のもの」と言います


この言葉が本当に分かる日が、自分にも来れば良いなと思いました💭


最近は仕事で自己実現しなければいけない風潮とか、キャリアアップし続けるために転職を促す雰囲気が社会に満ちていますよね…

そういうのは全て、仕事を自分の人生を充足させるための手段として考えているようで、何となく腑に落ちない感じがしていました

確かに自分の人生のために職を選ぶのは大切なことかもしれませんが、「ここじゃないどこか」とか「これじゃない何か」を求め続けるのは却って人生を空虚にすると思います


作中では適性がなくても一心に勤めればそこに「仏」が宿り天職になると述べられますが、そんな風に目の前の仕事にひたすらに懸命に取り組むのも、人生の選択肢のひとつではないでしょうかね…


味玉2つです!

イイね!
     

生き急ぐこと


おはようございます☀️


昼間はだいぶ気温が上がるようになりましたね


河津桜や梅が満開になって春が近いなあと喜んでいましたが、もうすぐソメイヨシノの番です🌸

今年もどこかに桜を見に行きたいなと思っています

それから美味しいものも食べたいですね…🍡


本日15:00〜23:00で出勤します

お時間があればぜひ( ˊᵕˋ )


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今回は藤本義一「川島雄三、サヨナラだけが人生だ」です📚


作者は主に脚本家として映画制作に携わり、後にテレビドラマや舞台のシナリオも書いていたそうです

…が、一部の世代の人にとっては『11PM』という深夜番組の司会を務めていた人物と言った方が分かりやすいのでしょうか💭

また、小説やエッセイ、評論など多くの著作を発表しており、1971年には『鬼の詩』という小説で直木賞を受賞しています


今回の「川島雄三、サヨナラだけが人生だ」は、作者が人生の師と仰ぐ川島雄三という映画監督についてインタビューや講演で語った内容をまとめた文章や、川島との日々をモデルにした小説『生きいそぎの記』などが掲載されています


『生きいそぎの記』という小説はすごく良かったです

ある映画の制作のために、脚本家志望の若い作者が川島と寝食を共にしながらシナリオを練る日々が綴られています

作者が師事した川島は時に理不尽な言葉や要求を作者にぶつける破天荒とも言うべき人物ですが、作者は彼の弱さや心の裡の葛藤を理解し、その人に魅入られてゆくのです


作者が敬愛の念とかそういう言葉以上に川島とその才能を愛し、不治の病に蝕まれてゆく川島を失うのを恐れる姿が、すごく哀しかったです

作者が川島に抱く感情は情愛に近いのかなとも思いますが、たぶん、そんな表現も適切ではないのかな…


小説の中で川島雄三は脚本家志望と告げる作者に、

「人間の思考を百とした時にそれを文字にして表現すると百分の一になる。文字で食べて行くにはせめて思考の百分のニ、いや、一.五ぐらいの表現ができないことには失格である…」(略)

と教えます


文字ばかり読んでこんな文章を世の中に垂れ流している自分としては、この言葉が印象に残りました

どんな文章をいくら書いても、誰かに何かを話しても、言葉が上滑りして言いたいことが少しも載せられない感じがしていて、私のこの感覚は間違ってないことが肯定された気がします


それでも、このブログを読んで私の気持ちの片鱗を汲んでくれる方がいると、言葉や文字の力にまた希望を持ってしまうのですけど…😊


プラントベース⁇の担々麺です🌱

時代の先端を行きます🚀

イイね!
     

続編のこと


おはようございます☀️


2月も今日で終わりですね

ここ数日で急に暖かくなって、春が近いのかなと思うと気持ちが明るくなります❣️


少し早いですが、今年はどこにお花見に行こうかなと考えています…

都内の名所以外にも行ってみようかな💭


本日13:00〜24:00、週明けは3/3 15:00〜24:00で出勤します

お時間があればぜひ^ - ^


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今回は遠藤周作「悲しみの歌」です

この間同じ作者の「深い河」について書きましたが、あれ以来他の作品も読みたくなり手に取りました


戦時中の生体解剖事件を扱った「海と毒薬」の続編になりますが、「海と毒薬」を読んでいなくてもちゃんと面白いです


主人公の医師勝呂は、戦争中に背負った暗い過去を隠しながら東京で小さな診療所を開いています

ある時、彼の過去を暴こうとする新聞記者が現れてから、勝呂医師の犯した罪に関する噂は町に広まってしまいました

それでも彼の元には様々な事情を抱えた患者が訪れ、勝呂医師は自らの過去と葛藤しながらも彼らに救いの手を伸ばし続けます

許されない過去と孤独を背負いながら生きる勝呂医師はやがて、戦後の人々が振りかざす"正義"の元で罪の意識に苛まれてゆくのですが…


遠藤周作はクリスチャンだったため、キリスト教を題材とした作品を多く書いています

この小説は直接的に宗教を扱っているわけではありませんが、ある登場人物にイエスを仮託しているようにも見えました


他の作品もいくつか読んで思ったのですが、作者の物語には一貫して「なぜ人は神を信じるのか」という問いがあるようです

神は様々な不条理や困難に苦しむ人間を救わないし、現実だって戦争とか災害とか、小説以上に残酷なことばかりです

それでも人々は神の存在を受け入れその教えに縋るのは何故か、神とは何なのか…

そうした信仰に関する根源的な問いについて、この小説では「赦し」がひとつの答えになっている気がしました

最も晩年に書かれた「深い河」では神をもっと内在的な存在として、愛そのものと考えたのではないかなと思います

作者の人生に伴って変遷する宗教観を辿るのも面白いですよ…


銭湯にて♨️

瓶の牛乳、製造中止のようです🥲

イイね!
     

老いた先のこと



おはようございます☀


遅番の後はラジオを聴くことが多いです

なんとなくですが、パーソナリティが二人よりも一人でやってる番組の方が好きです笑

なんでですかね…


一対一の感じが楽しいからでしょうか

テレビではそんなこと思わないのですけど😕


いつもどうでもいいことをぼやいてすみません<(_ _*)> 


本日15:00〜24:00、明日9:00〜15:00で出勤します

お時間があればぜひ^ - ^


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今回は藤沢周平「静かな木」です

作者が晩年に書き下ろした短編が3つ収録されています

先日外出の際に電車に乗った時に読み始めて、一時間弱の目的地に着く頃には読み終わってしまいました

それくらい分かりやすい文章だし、面白いので集中して読めてしまいます

ちょっとおかしみのある話、じんとくる話が収められていて温かい気持ちになります



表題の「静かな木」は、隠居した布施孫左衛門という武士が息子が巻き込まれた揉め事を解決するために、不正によって出世したかつての上司と果たし合う物語


老いに身を任せ古木を眺めるにつけても人生を儚む日々だった老武士が、悪に対峙し正義を貫くことで

『———生きていれば、よいこともある』

と人生を肯定的に思えるようになった姿が心にじんときました


でもきっともっと齢を取って人生の楽しみも哀しみも経験した頃には、本当にこの主人公に自分を投影できるようになるんじゃないかなと思います

その時に「たしかにそうだよな」と思うのか、「現実はそんなことない」と思うのか…

できれば前者のような感想を抱けるように生きたいですね

でもたぶん人生は不条理ばかりですから、それに絶望しきらないようにしないとなあと思います💭


この物語を書いた頃の晩年の作者は、どんな風に思っていたのでしょうね…



藤沢周平の作品は市井の民とか下級の武士とかふつうの人々が主人公です

作者の紡ぐ物語を読むと、そういう人々が清く誠実に生きる様をしらけた目で見ることなく、素直に受け取ることができる気がします


たとえフィクションであっても、美しい世界があることに生かされている人間もいるのです…



たまにはうどんです(o´▽`o)

イイね!
     

相反すること


おはようございます🐣


最近家でお灸をやっています

ツボの場所にはちゃんと現代医学で説明できる根拠があって、調べると面白かったです

効き目はまだよく分かりませんが…笑

でも「もぐさ」に火をつけると薄く煙が立って、その匂いだけで少し落ち着くのでもう少し続けてみようかなと思います


本日15:00〜24:00、明日13:00〜23:00で出勤します

お時間があればぜひ^ - ^


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今回は筒井康隆「薬菜飯店」です

1986年から87年に発表された短編をまとめて1988年に出版されました

現在はおそらく絶版になっていて、古本として売られているものはプレミアがついてかなり高くなっています(・・;)

なのでわたしは電子書籍で読みました

デジタル化の恩恵を享受しています…



表題作の「薬菜飯店」は、ある男が場末の中国料理店で謎の料理を食べた途端身体から様々な毒素が排出され、健康体を取り戻すという物語…


出てくる料理の描写がすごいです

怪しげな食材を使った聞いたこともない料理たちが視覚、味覚、嗅覚にわたって瑞々しく描かれていて、空想の食べ物のはずなのに垂涎ものなのです…

しかしこれだけで終わらないのが筒井康隆で、同時に身体に不調をもたらしていたあらゆる毒素が排泄される様子も大変リアルに描かれます 

ここにはとても書けないぐらい下品なのですが、徹底的に汚く書かれることでシーンが生き生きとしてきて、内容は滅茶苦茶なのにそんなに悪くない作品な気がしてきます

食べ物と排泄という相反する2つが両立してしまうのが筒井康隆ワールドですね…


他にもいくつかの短編が収録されています

と言っても「薬菜飯店」のようなエログロや他にはスプラッター、バイオレンスがほとんどで、一つだけ収められているタイムスリップSFだけはまともな内容かと思います

作風に二面性ありすぎるようですが、文学には不快が必要ということをどこかで筒井氏が述べていました

作者と読者、テクストと読む側の意識には葛藤があるべきだと

確かに、美しいものをさらさらと読んでいるだけではつまらないですね💭

筒井康隆が滅茶苦茶なものを書き続けるせいで、私たちは葛藤を続けられるのかもしれませんね…


卵がツヤツヤでした!

イイね!

Momoe(20)

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プロフィール

4/3(木) 4/4(金) 4/5(土) 4/6(日) 4/7(月)
13:00~23:00 -- -- -- --
     

玉ねぎのこと


おはようございます☀️


今日から早くも2月ですね


最近は野菜が高くて、スーパーの野菜売り場に行くとびっくりしてしまいます…

先日カレーを作ったのですが、いろいろ野菜を入れると大変なのでまだ安い玉ねぎを沢山使いました

これはこれで美味しかったです笑

もはや外食した方が安くたくさん野菜を摂れそうですね…


本日13:00〜23:00、明後日15:00〜24:00で出勤します

お時間があればぜひ^^


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今回は遠藤周作「深い河」です

様々な境遇の男女が、それぞれの目的を持ってインドに旅をします

何のために遥々インドまで来たのか、彼らが抱えて来た苦しみが明らかになるのと同時に宗教とか神について語られるお話です

遠藤周作の晩年に書かれた作品で、クリスチャンであった作者の宗教観が表れていると思います


物語の中でキリスト教徒で神父になろうとする青年が、彼の生き方を否定する女性に神という言葉を「玉ねぎ」という身近なものに置き換えて話をします

玉ねぎ(神)は存在ではなく働きのようなものであり、その働きとはつまり「愛」のことであると…


宗教についてあまり考えたことが無くても、この言葉は腑に落ちたというか、心に残りました

戦争とか災害とか不条理なことばかりの世の中でも多くの人が未だに宗教を信じるのは、キリスト教に限らず、結局は信仰の対象が「愛」という普遍的な感情に辿り着くからなのでしょうね…


この物語の登場人物たちは、先立った妻の生まれ変わりを探す夫や、戦友を亡くした老人、病のつらさを慰めてくれた動物を失った男など、みな喪失に苦しんでいました

それを癒したのは生も死も苦しみも穢れも全てを受け容れるガンジス川の流れだったのです

自らも大河の流れに身を委ねた彼らの心には、失った者たちがちゃんと愛として転生していて、その愛に生かされていくのかなと思います


作者は人生の最後に、神を愛として、自分の内側に見出したのでしょうね

重いテーマですが、すごく良い本に出会えました^ - ^


卵忘れました…( ; ; )

イイね!
     

幻想のこと



おはようございます☀


先日は大寒で、暦の上では一年で最も寒い日だったようです

これから暖かくなるだけなら良いですね( ´ー`)

昨年は2月に雪が降りましたから、まだ油断はできない気がしますが…❄️


告知となりますが、先週からYシャツイベントを行っています!

イベントのバナーに登場させていただきました

グラビアが追加されているので、ぜひキャストの紹介ページから覗いてみてください( ˊᵕˋ )


イベント期間は、

本日15:00〜24:00

25日(土)15:00〜24:00

26日(日)9:00〜15:00で出勤します

お時間があればぜひ^^


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


今回は小川洋子「妊娠カレンダー」です

1991年の芥川賞受賞作です

作者は「博士の愛した数式」という本も書いているのですが、こちらは映画化もされているので知っている方も多いかも…


本作には「妊娠カレンダー」「ドミトリィ」「夕暮れの給食室と雨のプール」の3つの短編が収録されています

どれも怖いと言うほどではないのですが、ちょっと不穏な心がざわつくようなお話です


表題作の「妊娠カレンダー」は、主人公の「わたし」が一緒に暮らしている姉の妊娠の経過を日記形式で綴った作品です

妊娠を題材にしながらも、「わたし」の姉に対する視線は冷たくて、彼女は姉が嫌いである訳ではないと思うのですが、姉の妊娠を喜んだり祝うような気持ちがぜんぜん見えません

むしろ「わたし」も姉自身も妊娠という非日常を恐れ、人間の原始的な生理現象に嫌悪感を抱いているようなのです…


妹という客観的な視点によって姉の妊娠がひとつの現象として、どこか冷たく描かれるのは新鮮でした

迫り来る出産までの日々が奇跡とか神秘的とか祝祭的な言葉なしに観察され、淡々とした文章で綴られることでより妊娠の「リアルさ」が増すようなのですが、でも何か違和感があります…

それはやっぱり、科学が発展しても生命の誕生は神秘であり子を宿す女性の身体には聖性が認められて来たからでしょうか


しかし現代では出生前診断とか遺伝子解析が当たり前になって、試験管ベビーなんて言葉もりますね…

ヒトの全てが科学で解析される時代において妊婦自身の生に対する感覚が、この姉妹のように希薄であることは、不思議ではないのかもしれませんね💭

母性本能なんて最初から備わっているものじゃなくて、社会が作り出した幻想に過ぎなかったのかもしれません


小川洋子さんは描写がすごく正確で、妊娠という肉体の感覚的なことも過不足なくさらりと描ききっています

平易な文体で物語の世界を正確に描写しきることで、自ずと登場人物の内面が浮かび上がってくるような感じがします

全てを押し付けないところが読みやすいなと思いました



卵多めだと嬉しいです🥚

イイね!
     

新年のこと


遅ればせながら、明けましておめでとうございます🐍


昨年はいろいろな方に支えられた一年でした

こうしてまた新たな年をスタートできたのも、関わってくださったみなさまのお陰です

本当に感謝しています


今年はみなさんにたくさん楽しい時間をお返ししようと意気込んでいます


今年もどうぞよろしくお願いいたします🙇‍♀️



ここではいつも日常の些細なことをぼやいているので、真面目なことを書くとちょっと恥ずかしいですね…笑


家にはまだ小さな鏡餅がテレビの前に座っています🍊

何となくお正月気分が続いていますが、明日は鏡開きをして気持ちを改めるつもりです


余談ですがお餅は焼いて砂糖醤油で食べるのが好きです

甘いのとしょっぱいの、一度にどちらも味わいたい欲張りなのです…( ⸝⸝•ᴗ•⸝⸝ )


本日9:00〜17:00で出勤しています

お時間があればぜひ♡


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今回は中上健次「枯木灘」です

以前このブログで取り上げた「蛇淫」と同じ作者です


今回のは読むのに少し時間がかかってしまいました…

登場人物の関係性が複雑で

(この人誰だっけ…?)

となってしまい、ページを戻って確認するのが大変でした

というのも、この小説はある青年と彼を取り巻く血縁者一族との物語なのです

昭和中期の紀州を舞台に、濃い血脈によって築かれてきた一族との因縁や実父への畏れ、対抗心、それらが鬱積されて出来た歪な感情が主人公こ人生をどう動かすのか…

そんなお話です


中上健次はちょっと読みにくい作家です

 〜だった。〜した。〜った。

の連続で、美しい文章とは言い難いと思います


でもこの小説における完了形の反復はたぶん意識的に行われていて、「路地」と呼ばれる紀州の地で繰り返される生と死、暴力、性、日常、労働、血脈が匂い立ち、読み手に迫ってくるような凄まじい文体なのです

主人公自身が抜けられない輪廻の中に身を置いているように感じました💭


そんなに難しい文章ではないのですが、とにかく読むのに気力が要ります

わたしは多分、中上健次が苦手なのかもしれません💦

でも彼が描く男たちは何となく色気があって魅力的だと思いました…



2025年初ラーメンです👏

イイね!
     

年末恒例のこと



こんにちは


クリスマスも終わって、今年もあと僅かですね…


ドラマの一挙再放送とか5〜6時間やり続ける歌番組とか、テレビ番組が年末編成になってくるとすごく「年末だなあ」と感じます…

大晦日はもちろん紅◯歌合戦を観ます❣️


今どきこんなにテレビを楽しみにしている人間も、きっと珍しいですよね笑

みなさんは年末年始、どう過ごされるのでしょうか💭


本日15:00〜24:00、明日13:00〜23:00で出勤します

お時間があればぜひ^^


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今回は山崎豊子「ぼんち」です

年末になると何故か山崎豊子を読みたくなります


山崎豊子というと「不毛地帯」とか「沈まぬ太陽」とか社会派小説が代表作としてあげられますが、彼女の生まれである大阪は船場を舞台にした作品も数多く残しています


「ぼんち」もそうした船場の商人、老舗の足袋問屋の喜久治の半生を描いた物語です

戦前の好景気に沸く頃、彼は跡取りとして店を切り盛りしながらもお座敷遊びに半端なく散財し、そこで出会った花街の女性たちと次々と関係を持ってゆきます…


船場で受け継がれて来た厳しい家族制度や独自の風習が細かく描かれていて、すごく面白かったです

例えば女遊びひとつにしても仕来たりがあって、その決まりごとの中で正しく遊ぶことが商人としての生き方にも繋がっていたようです

そういう仕来たりとか習慣は時としてかなり「えげつない」感じなのですが、それを守り続けてきたからこそ独自の経済圏を保ち、莫大な富を築いた豪商たちが生き続けたのかなと思います


以前紹介した谷崎潤一郎の「細雪」を読んだ時も思ったのですが、最近は大阪も東京も似たり寄ったりになっていて文化の均質化みたいのがすごく進んでいるんじゃないかなと💭


もちろん言葉とか文化とか、今だって全然違うと言えば違うのですが、当時に比べたら東京も大阪も非常に近づいてしまったような気がします

交通とかメディアの発達が原因だと思いますが、そうやって色んな文化が失われていくのはつまらないですね…

日本人自らが日本的文化を「フジヤマ、ゲイシャ」の一括りにしてしまうのはもったいない気がします


普通のがいちばん良かったりします🍜

イイね!
     

推すこと


おはようございます🎄


毎日冬らしい寒さが続きますね

陽が傾くのも早くなって、14時ごろでもう夕方みたいな西日なので何だか寂しい気持ちになります


明後日の冬至を過ぎればだんだん昼間が長くなりますね☀️

冬本番はこれからですが、早く春にならないかなあと思っています


本日15:00〜23:00、明日13:00〜23:00で出勤しています

お時間があればぜひ^^


………………………………………………………


今回は宇佐見りん「推し、燃ゆ」

2020年の芥川賞作品です


あるアイドルグループのメンバーを猛烈に「推す」ことに全てを懸ける、ひとりの女子高生が主人公です

ある日、彼女の「推し」がファンを殴ったというスキャンダルよって「炎上」してしまうのですが、やがてそれは主人公の推し活、延いては日常にも影響を及ぼしてゆきます…


主人公のあかりにとって皆が普通に出来ることが彼女には難しく、学校や日常の生活に大きな困難を抱えています

そういう生きづらさに苦しむ中で、彼女は推しを推すことは人生の「背骨」となっており、「生きる手立て」であると言い切るのです


わたしは今までの人生に「推し」と呼べるほどの対象がいたことがありません

なので「推し活」というのが理解し難いというか、勿論好きなものにお金を使うことの楽しさは分かるのですが、彼女乃至彼らを推し活に突き動かすものは、恋とか愛とかそういう類いばかりではないような感じがします

じゃあどういう気持ちが原動力となって、お金と時間を推しに費やしているのかなと常々疑問に思っていたのです…


推し活に対するスタンスとかモチベーションは様々かもしれませんが、きっとこの本の彼女みたいに、誰もが大なり小なり抱えている欠乏感を埋めるため、という人たちも多いのかもしれませんね


気になったのは、次の言葉です


『……ステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない』


自分から推しへの想いはどこまでも一方的で、そして距離も一定です

そして推しに見返りを求めないからこそ、受け取りたいものだけを受け取ることができるのですよね


でも苦しみの中で自分を支えたり、人生の核とするにしては「推し」は脆すぎるような気がします

推しとか推し活から得られるのは一時的な興奮であって、主人公が抱えているような欠乏感、生きづらさの根本的な解決にはなり得ないのでしょう…


最後にちょっと私の考えを述べると、「推し活」というのは日常への「効きが良い」のだと思います

供給されるグッズやイベントにお金や時間を貢ぎ、それを同じ界隈で共有することによって一層の興奮が生まれる🔁

スポーツとか楽器とか、何かに打ち込んで練習を重ねて成功体験を得るような趣味よりも、興奮へのアクセスが簡単なのではないかと思います

こんなにタイムパフォーマンスが良い趣味は他になさそうですから、多くの人が打ち込むのかな、なんて考えました💭


冬はラーメンに限ります🍜

イイね!

Momoe(20)

T158 B82(C)W56H83

プロフィール

4/3(木) 4/4(金) 4/5(土) 4/6(日) 4/7(月)
13:00~23:00 -- -- -- --

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