MomoeのブログMomoe's blog

     

むかしあったこと


ももえです(o´▽`o)


世の中は今日からお盆休みですね


数日前に東京駅を通ったら、すでに日本人の帰省客っぽい方がそれなりにいらっしゃいました🏖️


本日午前中発下りの「の◯み」は満席のようです🚅

あれだけの席が埋まってしまうとは…

お盆パワーすごいです


本日15:00〜24:00、明日13:00〜23:00で出勤します

お時間があればぜひ♡


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今回は野坂昭如「アメリカひじき・火垂るの墓」です

表題の2作に加えて短編があと4つ収められています


「火垂るの墓」は1967年に発表され、翌年他の作品と共に短編集として刊行されました

同年「火垂るの墓」「アメリカひじき」の2作が直木賞を受賞しています


「火垂るの墓」はジ◯リが1988年にアニメ映画化しています

原作よりも、アニメーション版の方が有名かもしれませんね💭


子供の時に初めてアニメ版を観た時の衝撃は忘

れられません

戦災の描写がリアルで怖いというよりも、人の命がこんなにも軽くなってしまう、ということに凄くショックを受けた記憶があります

幼い2人兄妹の苦難は本当に正視に堪えません…


本作で収録されたすべての短編の中で描かれているのは、先の大戦の戦禍を被った市井の人々です


「アメリカひじき」が特に印象的でした

少年時代に戦争を経験した男が妻の知り合いの米国人の来日をきっかけに、進駐軍時代から抱き続けていた米国へのコンプレックスを心の内に自覚する話


作者の実体験が元にあるようです


戦中戦後の貧しさは悲惨としか言いようがないのですが、関西弁の語り口も相まって妙におかしく描かれています

何とも言えない読後感というか、悲しくつらいだけで終われないのです


敗戦によってそれまで強いられていた理想や苦労が絵空事に変わって、180度思想転換してしまった日本人が子供心にみな滑稽に見えていたのではないかと思いました

妙なおかしみは、そんな作者の実感そのものかもしれないですね…


「アメリカひじき」の正体は、ぜひ読んでみてください👀





📸久しぶりになるとを見た気がします…🍥

イイね!
     

勘違いのこと


おはようございます🌻


先日は海の日でしたね🏖️


真偽の程は不明ですが、海の日があるなら山の日も…という感じで山の日が祝日になったと聞いたことがあります

それなら川の日も祝日にしてほしい気がしますが、ダメですかね( ´ー`)

やはり海と山は別格なのでしょうか…


本日15:00〜23:00で出勤します

お時間があればぜひ^ - ^


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今回は宮尾登美子「鬼龍院花子の生涯」です


大正から昭和にかけての高知を舞台に、侠客鬼龍院政五郎とその一家の波乱に満ちた生涯が描かれます


物語は鬼龍院政五郎、通称鬼政の養女として育てられた松恵という女性の視点で進行します

「鬼龍院花子の生涯」と題されていますが、実は主人公は鬼政もしくは松恵と言えるでしょう…

映画の中での夏◯雅子さんが放つ「なめたらいかんぜよ!」の台詞が強烈ですが、実は彼女が演じたのは鬼龍院花子ではなく、松恵だったのです

私も含めて勘違いしていた人、多いんじゃないかな…(・・;)


ちなみに花子と言うのは鬼政唯一の血の繋がった娘の名前です

なぜ「鬼龍院花子の生涯」としたのかは謎ですね💭



この小説を読んでいちばん印象に残ったのは、流れるような語り口です

音読したら自然と節回しができるような独特のリズムのある文章なのです

そして場面が盛り上がるところは句点が少なくなって、講談師が一気に修羅場を読むように物語がこちらに畳み掛けてくる…


作者が1978年に「一絃の琴」という作品で直木賞を受賞した時、選考委員は

「語りはこの人の吐く息であり、借りものでないことを証し、誰も真似できぬ芸境を確立しているのである。」

と評しています


こういう文体は同じ時代に女流作家として活躍した山崎豊子の文章とは対照的だなと思いました

山崎豊子は男目線で男の社会を描いたのに対して、宮尾登美子はあくまでも女目線で女の生き様を描いているのです


社会を動かす男が"表"だとすれば、それに翻弄される女が"裏"

そこに光を当て、独自の語り口で女の人生の悲哀、絶望、再生を描いています


この小説、ともするとただの任侠もので終わっても不思議ではないかと思います

それでも現代に生きる読者を惹きつけるのは、作者が芸の域にまで昇華させた語りと、それによって浮き彫りになる一人の女性の生き方があまりにも哀しく美しいせいでしょうか…




📸冷し鶏塩ワンタン麺です(*´꒳`*)

イイね!
     

グルメのこと


こんにちは🌻


最近スーパーではトマトや枝豆やスイカがたくさん並んでいて、いよいよ夏の訪れだなあと思います💭


ずっと前から真夏並みに暑かったので、とっくに夏の実感はあったはずですが…(・・;)


とりわけ色鮮やかになる夏の青果を見ると、余計に夏らしさを感じますね🍉🍅🍆


明日15:00〜24:00、明後日13:00〜24:00で出勤します

お時間があればぜひ^ - ^

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今回は池波正太郎「散歩のとき何か食べたくなって」です

著者がこれまで食事に訪れた多くのお店を書き留めたエッセイ集です

東京を中心に横浜や名古屋、大阪、京都、など色々な場所での食とその地に関する思い出が語られます


池波正太郎の時代小説に出て来る食事のシーンは本当に美味しそうで、私は妙に惹かれてしまいます

この本でも著者のそんな腕が見事に発揮されていて、ただの蕎麦でもお鮨でも特別珍しいものではないのに、描かれているものを本当に食べてみたくなるのです


一番最初に紹介されるのは、著者が10代の頃に食べた銀座の資◯堂パーラーでの洋食について

そこでは、池波少年が食べた"チッキンライス"(チキンライス)や"ポークカットレッツ"(ポークカツレツ)の見た目が事細かく描写されたり、それらの味について巧みな比喩を用いて説明されたりする訳ではありません


繊細なグルメリポートも色鮮やかな写真もぜんぜん無いのにも関わらず、私もテーブルに引かれた真っ白いクロスとその上に並ぶ銀のカトラリーとを想像してその清潔さに背筋を伸ばし、やがて運ばれて来る色とりどりの洋食に胸を高鳴らせてしまうのです…


初めて銀座で洋食を食べた池波少年と同じテーブルについた気分になってしまうのは本当に不思議です


この本は料理の味をどうこう言うよりも、それを食べるまでの出来事だとか誰と一緒に食べたかとか、料理に纏わる思い出話の方が多いので、情報を求めるグルメ本とは少し違います


著者は食事をただ消費するのではなく、体験と

して一つ一つの料理に深い思い入れと愛情を持って臨んでいることが感じられるのです

そういう愛があるからこそ、料理が一層鮮やかに読者の脳裏に浮かんでくるのかもしれません…


今はネットやSNSでいろんなグルメ情報を見ることが出来ますが、どんな写真や動画でも、これほどまで食事の感動を追体験をさせてくれるメディアやライターはいないのではないかなと思いました

楽しく読めるおすすめの一冊です!




📸著者よろしく銀座でパフェを食べました

イイね!
     

物語の中の物語のこと



おはようございます!


炎天下が続きますね☀️


毎日ガ◯ガリ君を食べています

暑い時、身体は内側から冷やすのが一番効率が良い気がしますが、どうなのでしょうか…


前にここで、今年は冷たいものを食べ過ぎないようにしたいと書いた気がしますがその決意は早くも揺らいでいるみたいです(・・;)


せめて"ほどほど"ぐらいには納めたいですね…


本日15:00〜24:00、明日13:00〜23:00で出勤します

お時間があればぜひ^ - ^



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今回は横溝正史「蔵の中・鬼火」です


作家活動の初期から中期に書かれた短編が収められています

横溝正史と言えば金田一耕助のような探偵が活躍する推理小説が有名ですが、当初はこの本に収録されているような耽美的、幻想的な作品を書いていたようです


表題作の「蔵の中」はある雑誌の編集長、磯貝氏の元に蕗谷笛二という青年から小説の原稿が届くところから始まります


その原稿の題こそが『蔵の中』


本作はこの作中作が鍵を握る、メタミステリーの形を取っているのです

原稿には何故か編集長の磯貝氏自身が登場するのですが、果たしてこれは現実か妄想か…

そして物語は終盤にかけて明かされてゆく事実によって、意外な結末を迎えることになります


途中、作中世界と作中作の境界が曖昧になり作者の仕掛けたトリックに見事に騙されてしまいました…


この短編集の中で「蔵の中」は、少し異色の作品に思えます

と言うのも、確かに他の作品も男女の愛憎とか人間の破滅など、「ある事件」の顛末を描いたミステリー的な要素を含んではいるのですが、推理小説と言えるほどそんなに技巧的ではなくて、むしろ作者の紡ぐ幻想世界に酔いしれるような作品群だと思うのです


しかし「蔵の中」は、作中作で繰り広げられる美文調に彩られた耽美的物語が一転、叙述トリックによって読者を騙し、メタミステリーの様相を見せる…

作中作『蔵の中』の世界だけでも十分に美しく面白いのに、それを伏線として利用し巧緻なミステリー作品に仕立てたのは、やっぱり後に金田一を発表しただけありますね

この作品を書いた時から既に、トリックに富んだ推理小説に強い思い入れがあったのかもしれません💭


どのお話も横溝ワールドを楽しめて、おすすめです(o´▽`o)



📸天ぷらうどんには卵天がマストです

イイね!
     

老いのこと


おはようございます☀


毎日暑いですね…🥵


6月でこの気温だと、来月再来月はどうなってしまうのでしょうか( ´~` )


こう暑いと外出も嫌になるので、最近家でうどん打ちを始めました

意外と運動にもなります🤽‍♂️

蕎麦打ちよりは簡単だと思うのでおすすめです…笑


本日15:00〜23:00、明日13:00〜23:00で出勤します

良かったらぜひ^ - ^


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今回は有吉佐和子「恍惚の人」です

1972年に刊行され、その年のベストセラーになりました

また、「恍惚の人」は流行語にもなったそうです

それほど人々の関心を集めた小説だったのですね…


主人公の昭子は夫と高校生の息子と暮らす主婦で、平日はタイピストとして働いています

ある日、姑の急死をきっかけに昭子は舅、茂造の異様な言動に気がつきます

茂造は認知症を発症していたのでした

症状は悪化の一途を辿る一方、茂造の介護の負担は昭子一人にのし掛かり、彼女は家事と介護と仕事の両立に喘ぐことになるのですが…


すごく面白かったです


ある家庭で介護に苦しむ女性と認知症の当事者を中心としたストーリーですから、悲劇にすることは容易だったと思います

しかし作者は、介護問題によって生まれる家族間の軋轢や介護者の苦悩だけではなく、認知症患者との噛み合わない会話に思わず笑ってしまうような「おかしみ」を見出していたり、介護者が被介護者にあたたかな気持ちを抱くようになる過程までをも、すごく丁寧に描いているのです

そういう作者の細やかさによって読者は昭子の立場に感情移入することが可能になり、そして昭子に降りかかった介護問題を自分ごととして見ることができるようになるのではないかと思います


この本が書かれた当時、男性の平均寿命は70歳、女性は75歳でしたが、現在は男性が81歳、女性が87歳にまで延び続けています


小説中では昭子による約一年の介護の後に茂造は他界しますが、もし現代を舞台とすればきっとそうはいかないでしょう…

昭子たちも何年間も自宅での介護生活が続けば、一家は悲劇的な運命を辿っていたかもしれません


しかし作者が介護による家族の破綻を描かなかったのは、来るべき超高齢化社会に絶望しきってはいけないというメッセージなのかなと思います

自らがいかに老いるか、そのためにどう生きるか、そして家族をいかに介護するかを社会に問いかけ、一人一人に真剣に考えさせるきっかけにしたかったのかもしれませんね💭


読みやすいのでおすすめです!( ˊᵕˋ )




📸フライドチキンパンケーキでした…カロリーの暴力

イイね!

Momoe(20)

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プロフィール

8/20(水) 8/21(木) 8/22(金) 8/23(土) 8/24(日)
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文体のこと/美術館雑記




おはようございます( ˊᵕˋ )


先日、久しぶりに美術館に行ってきました!


お茶碗などの骨董がメインの展示でした

小さいところですが、貴重な品を見ることができて楽しかったです

こういう時間を持つのも、たまには良いですね…


撮影できた展示品の中から、お気に入りをUPしてみましたのでぜひ見てみてください😏


本日15:00〜23:00で出勤します

お時間があればぜひ^ - ^


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今回は1971年の芥川賞受賞作品、古井由吉「杳子」です


引きこもりの大学生「S」は登山に出かけた先の山中で、一人動けなくなっていた「杳子」という女性に出会います

その時Sが杳子を助けたことをきっかけに二人は交流を持つようになりますが、杳子は精神を病んでおり、生活の中で異常なこだわりや神経症的な不安定さを見せるのです

しかしSは病を抱える杳子に惹かれてゆき、杳子もSとの関係を深めてゆきます…


こう書くと心に闇を抱えた若い男女による純愛小説のようですが、それだけでは終わらないのが純文学です


男女間の性とか愛の描写はあるけれど、恋愛的な要素に終始しないのは作者の文体の所為だと思います


私は純文学における文体とは、文章の美しさとか上手い下手のことではなくて、書き手によって選択された語の配置とか音によって文章から匂い立ってくる「何か」を指すのかなと思います

「何か」には「格」とかそんな感じの言葉が合うのかなと考えたのですが、的確な表現が浮かびません…

ごめんなさい<(_ _*)> 


話を小説に戻すと、杳子とSをただリアリズムに依って描いたら精神的な病の為に不可思議な行動を繰り返す変わった女の子と、そんな彼女を好きになる特殊な男の子にしかならないでしょう

また、杳子が見て感じて生きている世界を作者はすごく緻密に描いているのに、それがただの狂気にならないのもやはり、作者の言語を操縦する技術と構成の力によって確立された確固たる文体のお陰なのだと思いました


この本を読みながら、文体というものについて改めて考えさせられてしまいました🤔

やっぱり文学は難しいですね

読み手として、まだまだ未熟です(・・;)




🏋️‍♂️

イイね!
     

辿り着くこと


こんにちは☀️


先日から急に気温が上がりましたね


コンビニとか喫茶店では冷たいスムージーとかフローズンドリンクがおすすめされていて、つい飲みたくなってしまいます🍹


冷たいものの飲み過ぎは身体に良くないと分かっているのですが…(・・;)

今夏はほどほどにしたいです


本日15:00〜24:00、明日13:00〜23:00で出勤します

お時間があればぜひ^ - ^


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今回は永井紗耶子「木挽町のあだ討ち」です


江戸時代を舞台にしたミステリーで、2023年に直木賞と山本周五郎賞をw受賞した作品です


江戸は木挽町、芝居小屋で働く菊之助という少年がある夜、父親の仇である男を討ち取ります

まるで芝居の一幕の様な仇討ちの場面は町の人々の語り種となりますが、菊之助は姿を消してしまいました

その2年後、菊之助の縁者と名乗る青年が木挽町に現れます

彼が仇討ちを目撃した人々を訪ねて当時の話を聞いて周るうちに、事件の新の真相が明らかになってゆくのですが…


物語は全六話で構成され、一話ごとに語り手が異なります

常に一人称の視点なので、ミステリーによくある「信頼できない語り手」を用いた叙述トリックで、最後に仇討ちの真犯人が明らかになるのかなと思ったのですが、ちょっと違いました

作者に見事に騙されてしまいました…笑


徐々に事件の輪郭が顕になってゆく過程は、ミステリーとして非常に面白かったです

語り手たちの話によって仇討ちの経緯が判明するに連れ、断片的だった情報から菊之助の抱えていた葛藤や気持ちが明らかになり、どんどん物語世界に引き込まれてしまいました


また、語り手たちは皆少し訳ありで、身の上に事情を抱えています

それぞれが迷いや苦しみを経て木挽町の芝居小屋に流れ着き、菊之助の元でそれらの人生が交差するのです

それぞれの登場人物たちが織りなす人生模様に心打たれるのも、この本の楽しみかもしれません

ミステリーと江戸の人情噺、両方楽しめる物語です(o´▽`o)




醤油ラーメンが美味しいこの頃です🍥

イイね!
     

連続すること



おはようございます🍀


ゴールデンウィーク、終わってしまいましたね…

次の連休は7/19〜7/21の土日と海の日の三連休だそうです

先は長いですね…

六月にも祝日があれば、気持ち的に少しは楽でしょうか( ´~` )


本日15:00〜24:00、明日13:00〜23:00で出勤します

お時間があればぜひ☺️


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今回は井上ひさし「新釈 遠野物語」です


柳田國男の「遠野物語」をベースにした9つの短編が語られる短編集です

それぞれの話の素材は遠野物語に由来しますが、語られる話は作者のオリジナルだと思います


ある青年がひょんなきっかけから、遠野の山奥に住む犬伏太吉という老人に不思議な話を聞くことになります

話はどれも犬伏老人の過去に纏わる不思議でユーモラスで、そしてほんのり怖い物語です…👻

柳田國男版の遠野物語と同じく河童や狐が登場する昔話のようなものばかりなので、そういう方面に興味のない人にとってはちょっと退屈かもしれません(・・;)


でも狐憑きとか山姥とかが現代人からしたら非科学的かつ非現実的で、それらが実際にあったこととして語られる遠野物語の体裁に馴染みにくいのは、仕方がないことと思います

また、柳田國男の方の遠野物語には

『猟師が白い鹿を撃ったと思ってよく見たら白い石でした、おしまい。』

と言うような、明確なオチや結末が示されない話も多いのです

だから何?となってしまいますね…笑


でもそういう感動とか興奮の少ない短い物語をいくつも読んでいくと、遠野の人々にとっては怪異が日常的な生活の中で共有されてきた解釈であることがよく分かるし、彼らが抱いていた自然に対する畏れとか親愛までもが見えてくるのです


それはつまり、遠野の人々が世界をどのように見ていたか、というところに行き着くのだと思います


文学でも絵でも音楽でもそれらを鑑賞する意味とか面白さは、作者がどのように世界を捉えたかを理解する、というところにあるのではないかと思います

ですから遠野物語は民俗学的な資料としての価値以外にも、文学作品として鑑賞する価値があるのではないでしょうか

そういう視点でも読んでみて欲しいですね📚


今回の「新釈 遠野物語」では、結末において誰もが語り部となり聞き手となれることが示唆されています

作者は、自然と人も決して分断されたものではなくて行ったり来たりする/できるもの、連続性があるものと捉えてこんな最後にしたのかなと思いました…




📸うどんには卵天です( ˊᵕˋ )

イイね!
     

様式美のこと



おはようございます☀


ここ数日、初夏の陽気が続きますね🎏


少し前に花冷えで真冬のような日もあった後、やっと暖かくなったなと思ったらもう暑いぐらいです…

半袖はまだ早いかなと思ったり、何を着たら良いのか毎日迷っています(´・ω・ `) 


本日15:00〜24:00、明日13:00〜24:00で出勤します

お時間があればぜひ( ˊᵕˋ )


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今回は彩図社文芸部編「文豪たちが書いた酒の名作短編集」です

坂口安吾や芥川龍之介、太宰治ら文豪たち13人による、酒にまつわるエッセイや短編小説が収められたアンソロジーです


読んでみて一番に思ったのは、今より娯楽が少ない時代において、人々にとって飲酒は現代人が思っている以上に特別で欠かすことのできない楽しみだったのかなということ💭


それでも依存的に酒に溺れる人ばかりにならなかったのは、一昔前の日本にはお酒を飲むにも様式美みたいなものがあったせいかもしれませんね


太宰治の「酒の追憶」では、少し前まで酒といえば日本酒を熱燗で盃にお酌をしてもらいながら飲むのが当たり前だったと記されています🍶


冷や酒を独酌は下品、チャンポンなんかは蛮行とすら思われていたとか…

しかし戦後にそういう価値観は無くなって、男も女も専ら酔うために、焼酎やらコップ酒を鯨飲するようになってしまいました

酒に酔うというのは享楽的な行為であるからこそ、美しくあろうとしなければ人間はどこまでも堕ちていってしまうのかもしれませんね


飲酒の習慣からも垣間見える世の中の変貌を、太宰は憂えていたようです( ´ー`)


収録されている作品の中で私が良いなと思ったのは林芙美子の「或一頁」と、福沢諭吉の「福翁自伝(抄)」


林芙美子の文章は詩情が豊かなのにさっぱりしていて、清潔な感じがします


『…いま賀茂鶴という広島の酒を呑んでいる。柔かくて、秋の菊のような香りがして、唇に結ぶと淡くとけて舌へ浸みて行く。』


唇に結ぶという表現が良いなあと思いました💭

お酒を嗜むにも彼女の美学があったことが窺えます


一方の福沢諭吉は若いうちからかなりの酒豪であったようで、そのことに起因する多くの失敗談や笑い話が語られています

禁酒しようとして代わりに煙草を吸うようになったけれど、結局お酒は辞められずに酒飲みの愛煙家が出来上がってしまったというオチのついた話が特に良かったと思います笑


収録されているのは小説よりもエッセイの方が多くて、大半は他愛もないような小品文といった感じですが、文人たちが飾らない言葉で綴った文章は新鮮で面白かったです!

おすすめです( ´﹀` )



今回は牡蠣のラーメンでした🦪

イイね!
     

どちらかのこと



おはようございます


運動神経は悪いのですが、スポーツを観るのはちょっと好きです( ´﹀` )

今朝方はマス◯ーズを観てしまいました⛳️

先週はド◯イワールドカップ🐎とロ◯ド🚴…


いずれも時差がすごい国からの中継なので、リアルタイム視聴もいい加減にしないとなと反省しています

でもこれから大きな大会のシーズンに入る自転車は特に面白いので、楽しみでありつつ先が思いやられる気もしますね…(^^;;


本日15:00〜23:00、明日13:00〜23:00で出勤します

お時間があればぜひ🌸


………………………………………………………



今回は吉村萬壱「ボラード病」です

何となく題が気になって手に取りました

ジャンルとしてはディストピア小説に分類されるのでしょうか…

私はフィクションばかり読んでいますが、あまりにも現実からぶっ飛び過ぎている世界観にはついて行けないというかちょっと苦手なので、こういうジャンルの作品はあまり読んだことがありませんでした…

SFで唯一読んたのが筒井康隆とか小松左京ぐらいかな💭

両者とも、割と限定的にしか読んでいないのですけどね💦



この物語の舞台は”ある災害”から復興した海塚市という架空の町で、そこに住む大栗恭子という小学5年生の女の子の視点で描かれています📚

でも後に、実は彼女は30歳になっていて、当時を思い出しながら書いている手記であることが判明するのですが…


とにかく不穏で、読み終わってイヤな感じの残る小説でした

でもそれが良いか悪いかは別にして、作品自体のクオリティは高いと思います


主人公の周囲で起こる衝撃的な出来事から、海塚市とは震災後のフクシマのことだろうと想像されますが、そのことには一切言及がありません

しかしそれによって生まれる緊張感があり、物語を貫く本質的なテーマがよりはっきりと見えてくるのだと思います

現代社会に蔓延る同調圧力と、迫り来る全体主義への警鐘、私たち自身の世界の認識の曖昧さ…

そういう普遍的な問題、というか現実を書きたかったのかなと💭

海塚市も大栗恭子も「ボラード病」も、過去現在未来に渡って起こり得る悪夢な訳なのです


ちなみにボラードとは、船を岸壁に繋留するために設置された杭のこと

私たちをこの世界に繋ぎ止めている自らが「正常」であるいう認識は、「異常」の存在によって肯定されているのかもしれません

だから異なる存在を探し出し、作り上げ、排除をする…

しかし時に起こる「周囲と自分のどちらが正常でどちらが異常なのかなんて分からないのではないか」という疑心は、世界がそもそも茶番であるという証拠でしょうか

でも茶番を認めてしまったら自己の認識が崩壊してしまいますね

私がボラード病なのかあなたがボラード病なのかは、分からないままです…


実は温泉卵ものってます🥚

イイね!

Momoe(20)

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8/20(水) 8/21(木) 8/22(金) 8/23(土) 8/24(日)
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